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Bossa Nova

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ジョアン・ジルベルトとしてのボサノヴァ

「ジョアン・ジルベルトとしてのボサノヴァ」。妙な言い回しだけど、ジョアンを中心に見ると、ボサノヴァは終始一貫して、ジョアン・ジルベルト自身としての姿しか見えてこない。ジョビンやヴィニシウスが関わったとしても、本質的にジョアン自身で完結してしまう物語の脇役にしかならない。ボサノヴァが、ジョアンの発明したヴィオランのバチーダから生まれたと言うのは間違いないとしても、彼が「ボサノヴァ」なるものを生み出すために、風呂場にこもっていたのではないことだけは確かだ。実際、ボサノヴァのストーリーの中で、ジョアンはいつも別の舞台で別の物語を演じている。ボサノヴァが盛り上がろうと廃れようと、何の関心もないように見える。

ジョアンが発明したもの、「ヴィオランのバチーダ」と「小さな声で歌う方法」、そして「よくわからない擬音だらけの歌」。それらすべてが、若者たちを魅了した。しかし、若者たちの作ったものは、ジョアンを引き付けはしなかったように思われる。彼のレパートリーは、まるでボサノヴァに無関心を装っているようにさえ見える。古いサンバや、カンサォンを好んで歌い、アメリカやスペインの曲を歌い、ジョアンズ・チルドレンを自認するカエターノ・ヴェローゾやジルベルト・ジルの曲を歌い、ボサノヴァの曲は歌わないジョアン。しばしば、ジャズから入ったボサノヴァファンが、「ジョアンは苦手だ」というのは、いわゆる「ボサノヴァ」とジョアンの音楽との共通項を見いだせずにいるからかもしれない。

ジョアンのソロデビュー曲(*1)「シェガ・ヂ・サウダーヂ」が大ヒットしてボサノヴァ・ブームが始まった。時々不思議に思うことがある。ジョアンの後に続いた連中は一夜にしてボサノヴァの奏法を身につけたのだろうか? ジョアンのバックでドラムを叩いていたミルトン・バナナは、いつボサノヴァにとってのドラム奏法を確立したのだろう? ジョビンはいつからボサノヴァの作曲家になったのか?????? ボサノヴァの誕生物語は、なにもかもが一夜にして始まったような印象を与えてしまうが、果たしてそうだったのだろうか。注意しなければいけないのは、録音されたものだけから真実を見極めるのは、極めて困難だと言うことだ。ヴィオランの弾き語りなどというものを録音して売り出すなんてことは、当時のレコード会社には馬鹿げたことでしかなかったわけで、実際のところなにが起こっていたかは、相当の想像力を働かせなければ見えてこない。

録音当時すでにジョアン・ジルベルトは、伝説の人だった。彼の新しい音楽の魅力は、リオの若者たちの間に急速に感染していた。ナラのマンションでのお広めに始まり、プライベートに録音されたものが聴かれ、聴いたものはみんなギターを持ってジョアンの真似を始めた。聴くことができないものは、人から教えてもらってギターを弾いた。噂は噂を呼び、最初のSP盤が発売された時に大爆発することになる。最初のヒット以前、すでにジョアンの奏法を身につけた若者が多勢存在していたのだ。そして、商業的な成功によって、聴衆が準備された。ブームに火がついた。そしてジョアンは、相変わらずジョアン・ジルベルトのままだった。

ジョアン・ジルベルトを語っても、ボサノヴァの全体像は見えてこない。同時に「ボサノヴァ」を語れば語るほど、ジョアンから離れていってしまう。ボサノヴァの歴史の中で、最重要人物でありながら、最も曖昧な対場にいるジョアン。