ALO,ALO,BRASIL

2 : 知らざれるナラのエピソード

TEXT BY WILLIE WHOPPER


ここ日本では、ナラ・レオンというと「ボサノヴァのミューズ(女神)」とよく言われ、実際そのイメージが強いのであるが、ボサノヴァと決別し長年連れ添った仲間達にも絶縁宣言した時代があるように、意外と気性が激しい女性なのである。ここではそんな彼女の知らざれるエピソードを挙げ、彼女の魅力を再認識していきたい。

12歳のナラに両親がヴィオラォンをプレゼントとしたのは内気なナラを少しでも明るくしたいとの願いが込められていたから。

アストラッドとジョアンが出会ったのはナラのマンションと言われているが、近所に住むアストラッドを自宅に誘ったのは親友のナラだった。ナラが二人の仲を取り持った?

ナラの初恋の相手はホベルト・メネスカル。この恋は実らなかったが、ナラが亡くなるまで数十年間付き合いは続いた。最早兄妹みたいなものか。

ちなみにナラの一番最初の恋人はホナルド・ボスコリ。婚約まではいったのだが結局破談してしまった。ちなみにその原因はボスコリの浮気。お相手はマイーザ。

「ボサノヴァが誕生したのはナラのマンションから」という逸話も残っているが、ナラの住んでいたマンションはリオでも有数の高級マンションで、毎晩50人前後が集まってていたそう。お風呂も3つあるという。マンションというよりちょっとしたホテルなみ。

1964年ファッション・ショーの伴奏役としてひっそりと初来日したナラ・レオン。一緒に来日したのは合衆国でブレイク直前のセルジオ・メンデスをはじめ、チアォン・ネット、エヂソン・マッシャード。一体どんな演奏だったのだろう?

ボサノヴァと決別したナラが裏山のサンバを取り上げたショー、「オピニオン」。劇場の名前を「オピニオン」と変えてしまう程大ヒットしたのだが、実はそのせいで街のサンバ・レストランは軒並みガラガラになってしまい、カルトーラがオーナーを務めていたレストランでさえも潰れてしまった。

ナラの歌う歌詞は次第に政治的メッセージが強くなり、次第に軍事政権を批判する内容となっていった。当時の国防大臣はナラに対して「国家保安法」を適用しようとした。

この時期ナラは親しい友人達に「私はライオンよ。(”レオン”はライオンという意味もある。)」と自ら吹聴していた。

ナラとエリスは相当仲が悪く、芸能雑誌でお互いの悪口を言いあってた。今で言うミッチーとサッチーみたいなもんか?

映画監督のカルロス・ヂエギス氏と結婚後はコンサート活動を止め、レコーディングのみ行っていた。2人の子供を育てながら夜学に通い心理学を専攻、精神病医になりたかったそうだ。

夫が監督した映画「クアンド・カーニバル・シェガール」にシコやベターニアと出演、シコが脚本を書いた子供の為のTVドラマでは主演を務めている。女優としてのナラも観てみたい。フィルムは残ってないのだろうか?

フランスに渡った前後のエピソードは情報不足で不明な点も多いが、ジョルジュ・ムスタキと共演、録音も果たしている。「10年後」でデュエットしているトッカも謎のシンガーだが、数枚ソロ・アルバムを出している。

77年にカムバックしたナラは友人達を集めてレコードを製作した。ホベルト・メネスカル、カルロス・リラはもちろん、シコ、カエターノ、エドゥ、そしてジョビンやドナートに、意外なところではドミンギーニョスやエラズモ・カルロスなんて人も参加。ナラの人柄がこのメンツからも伝わってくる。

83年に発表したアルバムにはインストルメンタルの曲が収録されている。あまりに演奏が良かったので歌いたくなくなったそう。こんな事が許されるのもナラならでは。

その後、ヴィオラォン一本でボサノヴァだけを歌うショーを成功させた。ボサノヴァを知らないロック世代の若者の心を捕らえ、ナラは再びボサノヴァを歌う事を決意した。

85年の来日時、ナラはあるコンサートで何曲か歌った直後に一時意識を失った。当時は「あまりにも感情を込めて歌ってしまい余韻から抜けられなかった。」と言われていたが、実はこの頃より脳腫瘍が進行していたようだ。精密検査を受けていれば...

アメリカン・スタンダードを歌った2枚のアルバムは大ヒットし、日本ではビールのCMにも使われていた。

亡くなる数ヶ月前、もう病院での治療ではどうにもならないと言われたナラは祈祷師の元へ行き御払いを受けた。するとボール大ほどあった腫瘍がレントゲンの写真から消えていたそうだ。

脳腫瘍と分かってからも精力的に活動したナラ。再び日本に行くのを熱望していたそうだ。ナラの来日を観に行った人も、まだナラ・レオンの作品に触れた事の無い人も、この機会に今一度ナラ・レオンを聴いてみましょう。そしてブラジルに行く機会がある方は、是非お墓参りに行ってあげて下さい。私もいずれ行くつもりです。

参考文献
「ボサノヴァの歴史」
「月刊中南米音楽」
「月刊ラティーナ」